北海道の義経と弁慶の伝説の旅
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泊村を旅立った義経一行は、いよいよ最大の海の難所
「神威岬」に向かいました。荒波に揉まれて難破しそうになった義経は、神威岩と海の神、風の神に祈りを捧げると、不思議に風、波がおさまり、無事に通過することができました。平取のアイヌ部落の酋長の娘、
「チャレンカ」が義経を慕って神威岬までやってきましたが、恋が実らず、岬から身を投げてしまいました。「この場所、船に女人を乗せて通ることを禁ず」
と言い残して。 
その後、船の難破が続き、女人禁制になったのは、松前藩になってからのことです。 神威岬を後に積丹岬も風波の荒い所です。ここでも難破しそうになり、やっとの思いで入舸にたどり着きました。義経を介抱したのがシララで、恋が芽生えました。月夜の晩にシララには知らせず、旅立ちました。気づいたシララは、後を追ったのですがすでに遅く、崖から身を投げてしまいました。今でも義経の帰りを待っているそうです。「女郎子岩」に身をかえて。
小樽にも赤岩と云う地名があることから小樽にも寄ったんだと思います。また石狩に寄った時もメノコとの恋の話が残ってます。浜益に寄った時も恋の話で、娘との別れに際し、老婆が義経に岩燕を2羽贈ったそうですが、すぐに舞い戻ってきました、なぜなら娘は毒を飲んで亡くなっていました。岩燕は今でも浜益の洞窟に住み着いているそうです。(アマシュケの岩燕伝説)。 やがて最北の地、稚内です。さすがの義経もここまで来ると疲れ果てて武将の面影も少なく、アイヌの人たちに船を出してくれるように頼んでも、誰も真剣に聞いてくれる者がいません、そこで義経は近くにあった大きな岩を一刀打のもと、まっぷたつに斬ってしまいました。威厳を保った義経にアイヌの人たちは船を出してくれたそうです。
後に義経は、大陸に渡り、モンゴル帝国の王様(チンギス・ハーンになられたそうです。
 
北海道には、この他にも各地に義経と弁慶の伝説が残ってます。本当は岩手県平泉で亡くなったのかもしれませんし、でも北海道には、アイヌ民族の言い伝えが各地でたくさん残ってます。
皆さんは、どう考えますか?
私は、アイヌの伝説を信じます。
 
尚、本分は私の仮説の部分もありますのでご了承ください。以上 小樽観光個人タクシー 山崎
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義経は、青森県津軽で老人から3頭の馬をいただいたことから三馬屋から三厩の地名になったそうです。
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